主に愛知県下において
広く伝承されている
農民武芸の民俗芸能
猿投棒の手には
見当流と鎌田流の
二流派が存在し
「猿投町棒の手保存会」により
伝承されています
(昭和三三年三月愛知県民族無形文化財に指定)
流派
見当流
(けんとうりゅう)
戦国時代
織田信長が戦で領内を離れる際
武術に優れた本多遊無(本田遊無)を遣わし
百姓達に棒術を指南したのが始まりとされる
鎌田流
(かまたりゅう)
一五五四年
岩崎城主が家臣鎌田兵太寛信に命じ、領民に
棒術を教え、熟達したものを募り、
軍装して三河猿投大明神の祭礼に
献馬とともに奉納されたのが始まりと
されている。
【棒の手とは】
およそ460年前、戦乱の時代に農民が自分の身を守るために武術を身に付けたのが始まりとなります。
棒と棒で武術訓練を行い、この『棒の手合わせ』の言葉が、現在の『棒の手』の名前の由来だといわれており、時代を経て武術の技を神社、仏閣に奉納する演技、見せる演技に変化し全国でも珍しい農民武芸として伝わっています。
【技能継承】
豊田の棒の手は愛知県無形民俗文化財の指定を頂いており、見当流・鎌田流・起倒流・藤牧検藤流の4流派25支部で後継者の育成および技の伝承といった活動をしております。
猿投の棒の手は、猿投町でも主に猿投神社に近い地域(上切)が見当流、遠い地域(下切)が鎌田流を伝承し、1地区で2流派を継承する珍しい地域です。
又、青少年育成の場として地域の方々から評価頂いてます。